中之島の歴史はモノの流れの重要性を教えてくれる

こんにちは、

濱脇宏太です。

 

以前に中之島に書くと書いて書いてなかったので書いていきます(笑)

 

司馬遼太郎の『竜馬がゆく』には中之島周辺がよく登場します。

それは淀川を北上し、京都に入る船が多く、

現在の北浜のあたりで乗り入れしていたからです。

 

また当時は各藩の蔵屋敷が並んでいました。

そこに瀬戸内から物資が運ばれます。



つまり中之島

瀬戸内から入る交易と

大阪・京都を結ぶ交易の中間地点になります。

 

自然とそこにはモノが集まります。

モノが集まるところにはヒト・カネが集まります。

 

日本中から大阪・京都に向け運ばれるモノはここに集中していたのと思います。

ここに江戸時代最大の米市場の「堂島米市場」があったことも頷けます。

 

今回中之島について調べてみると、江戸時代までは情報が多かったです。

でもそれよりも昔は調べてもあまり出てこない

(調べ方が悪いのか??)

 

考えてみると、モノの流通が盛んなのは争いがないからだと思います。

日本と北朝鮮に交流がないのを考えると納得します。

 

経営者としてヒト・モノ・カネは大切なポイント。

考えが何かまとまりそうでまとまらいので今日はこのへんで。。。